映画:「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」(2007)

★★★★☆

本当にベタ好きだなぁなどと思いながら、綾波の零号機が使徒ラミエルの加粒子砲の盾となるシーンには思わず涙ぐんでしまった。今回の映画化はテレビ放送の第六話「決戦、第3東京市」までを中心に物語を再構成したものである。実際、テレビ放送の第九話「瞬間、心、重ねて」あたりまではロボット・アニメとして、視聴者の期待を裏切らない展開をしていたし、原画から新たに撮り直した映像はうつくしい。

とはいえエヴァの評価の難しさは、物議を醸し出したテレビ放送の最終2話や1998年に公開された映画のラストにあるのであって油断はできない。ぶつぶつ言いながらも結局、今後公開される映画は劇場に足を運ぶだろう。以前のように広げるだけ広げた「大風呂敷」をそのままにせずに最後のエンドマークを見せて欲しい。

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意識と脳の間

最近読んでいる本を挙げてみる。池谷裕二の「進化しすぎた脳」「海馬」(糸井重里・共著)「記憶力を強くする」。ダニエル・L・シャクターの「なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか」。意識と記憶に関心があり、その生理学・身体的なアプローチとして脳科学は、現時点でどのような仮説を立てているのかが興味があるのだ。どれもエキサイティングで面白い。特に池谷氏の論説はわかりやすい。たとえば、意識的あるいは無意識的な「記憶」という行為の際に、どのような化学変化が起きているのかを説明してくれる。しかし、どんなに鮮やかに脳の中での化学反応を解説しても、私が感じている意識(自意識)には「到達」できないもどかしを感じてしまう。もちろん、物理的に脳に障害が生じれば、いまの私の意識を維持できないという現実は理解しているつもりなのだが。

面白そうな本は、Amazonでいくらでも「紹介」されるので、読みたい本が尽きることはない。考えるネタはいくらであるということだ。

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いよいよHDレコーダーの容量がヤバイ!

勢いで見始めた「勇者ライディーン」はやっと30話まで消化。正直いって富野演出の26話までは見るのが苦痛だった。長浜監督になって、ムー人である洸の母とムートロンの謎を探るという本筋をつくり、何とか展開に変化が持ち込まれる。子供の頃の「感動」を大人になって同じように再体験しようという魂胆にそもそも無理があるということを痛感した。そして、HD容量の警告が出ているのにもかかわらず新作「REIDEEN」までエアチェックし始める。全26話のうちまだ1話も見終わっていないうちに今度は「MOONLIGHT MILE 1ndシーズン」の予約を入れる。こういう状況では、仕事から帰り食事を終えた後のほとんどの時間をたまった番組の消化に費やされてしまう。

これは明らかに「現実逃避」モードであり、「本当にやろうと思っているんだけど、なかなか取りかかれないアレ」から目をそらしているのである。「もうちょっと待っててくれ。たまった番組全部かたづけてから」なんて思っているうちは「絶対」ダメなのは、これまでの数十年の経験で実証済みなのにも関わらず、やっているんだから業が深い。

さてと、今日はどれくらいHD容量を回復できるだろうか?

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映画「スーパーマン リターンズ」

「スーパーマン リターンズ」(2006)

★★★★★

スーパーマンと同じ能力を持つクリプトン星の犯罪者3人に勝利したあと、クラーク・ケント(ブランドン・ラウス)は自らのルーツを確認するために、崩壊したクリプトン星へ旅立つ。5年ぶりに地球に戻ったスーパーマンを待っていたのは、「なぜ世界はスーパーマンを必要としないか?」という記事でピューリッツァー賞を受賞し、子供をもうけ同僚のエリート社員と同棲しているロイス・レイン(ケイト・ボスワース)だった。スペースシャトル事故を鮮やかに解決して改めて国民に支持されたが、ロイスの態度は冷たい。仮釈放中の宿敵レックス・ルーサー(ケヴン・スペイシー)は、北極にあるスーパーマンの居城からクリスタルを盗み出し大西洋上に巨大な大陸を作り出そうとする。それは大西洋沿岸にすむ数十億人の犠牲にするものであり、スーパーマン自身の命をねらう謀略でもあった。レックスに捕らわれたロイスを助けるため、そしてその野望を阻止するためにクリスタルの大陸に向かうスーパーマンであったが…。

ヒーローもの及びリバイバルものとして見事な出来だ。ちなみに私はクリストファー・リーヴ主演の旧4作が大好きで、派生作品の「スーパーガール」(もちろんこれにはクリストファー・リーヴは出演していない)まで映画館へ足を運んだファンである。まずシナリオの巧みな構成に感心した。「スーパーマン2 冒険編」(1981年)のエピソードを踏まえた上で、プロットとしては「スーパーマン」(1978年)をベースに再構成されている。実夫の設定であったマーロン・ブランドの台詞をナレーションとして使うなど、前シリーズのファンをニヤリとさせるエピソードがあちこちに仕掛けている。恋人ロイスは知的に、レックスの滑稽さは薄められているのは現代的な脚色のためで納得だ。演出もすばらしい。最初のスペースシャトル救出の臨場感、渋い色調に押さえたコスチュームの赤と青、後半にあえて抑え気味にしたSFXなどなど。そしてキャスティングのはまり具合はどうだろう。クリストファー・リーヴを面影を感じさせながら、ブランドン・ラウスは「新しい」スーパーマンになりきっている。また、ケヴン・スペイシーの怪演によって、まるで昔のままのジーン・ハックマンがレックスを演じているように見えてしまう。

映画を論じるにあたり、シナリオ・演出・キャスティングを褒めれば満点になってしまう。まさにファンの贔屓倒しといえるかも知れない。とはいえ時間的に余裕がある方はぜひ旧2作を見てからの鑑賞をお勧めする。

最後に不満を一つ。私は浴室で「スーパーマン」のテーマをよく鼻歌する。しかし、そのうちにそれが「スーパーマン」のテーマなのか「スターウォーズ」のテーマなのか自分でもわからなくなってしまうのだ。私の音楽的センスの貧困さの証明であることを否定はしないが、すこしは責任の一端をジョン・ウィリアムズに負わせたい気持ちになることを告白しよう。

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キーボードを新調!

長らく欲しいものリストの上位にありながら、なかなか最後のワンクリックができなかったキーボードをとうとう購入してしまった。「東プレ Realforce91Uカスタマイズキーボード for ATOK [BK]」である。

段ボールから取り出して最初に驚いたのがその重さ。いままで使っていた秋葉原ショップブランドPC付属キーボードの550gに対して1,100gである。テンキーがないのにも関わらず2倍の重さなのだ。昔、オーディオ雑誌にあった「アンプの性能は重さに比例する」なんていう話を真に受けてきた者にとっては、購入の決断とその値段の正統性を補強する根拠の一つに挙げたい。次に肝心のキータッチについては、とまどい気味というのが正直な感想だ。東プレの最大の特徴である「静電容量方式」のタッチの軽さ・微妙さに、こわごわ打っているという感じである。これまでメカニカル式のカチャカチャという打音と打鍵感を好ましいと思ってきたので当然といえば当然か。じゃあ、何で東プレなんだと言われそうだが、このキーボードの希少性(一応「一太郎2007発売記念」の各色限定500台と説明されている)と黒い本体に赤いEscキーとロゴというデザインに抗いきれなかったのだ。まぁ、通販とかWebショッピングというのは、実物を空想しモノが届いたときの若干の当惑と後悔を愉しむ振る舞いであるのでよしとしたい。

果たしてこれで私の入力環境は「最強」となるのか?

まずは途中でほおってある「ゾンビ打 タイピングラリアット」をクリアできるか再挑戦してみるか。

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「勇者ライディーン」

WOWOWで放送され始めた「勇者ライディーン」を第10話まで鑑賞。

1975年から全50話で放送されたテレビ漫画(アニメって言い方は「宇宙戦艦ヤマト」以降に使われはじめたように思う。それまではテレビ漫画っていっていたよなぁ)だ。その後、学習研究社の雑誌「ムー」の熱心な読者となる私にとって、オカルトちっくな世界観に魅了された。しかし、ウィキペディアで調べてみると、この点でかなり放送局と揉めたらしい。しかもその責任をとって富野由悠季が26話で監督を降りたという。キャラクターデザインは安彦良和で後年のガンダムチームで製作されていたことも初めて知った。富野の後任に長浜忠夫が監督となる。

私の三大ヒーローの一人がひびき洸だ。ちなみにあとの二人は、「デビルマン」の不動明・「ウルフガイ・シリーズ」の犬神明(特にアダルトの方)である。三人とも名前は「アキラ」。自分の名前がなぜ「アキラ」でないのか、子供の頃に残念に思った記憶がある。四天王となると「マジンガーZ」の兜甲児が加わる。「せめてコウジにしてほしかった…」などと愚痴っていた。

「ゴッドバーード、チェーンジ」「照準セット!」「命、さずけよー」など懐かしい。主題歌も一緒に歌ってしまうほどである。まぁ、こういう姿を家人にはあまり見せられないが。特に好きだったのは、後半の長浜監督の展開。操縦席でボロボロになりながら繰り出す必殺技のゴッドボイスや自分の出自が古代ムー帝国にあることを知るところなど。HDDレコーダーの容量を確認しつつエアチェックしていくつもりだ。

子供の頃買ってもらった「勇者ライディーン」の超合金、何で捨ててしまったんだろう…。

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「リ・ジェネシス2 バイオ犯罪捜査班」(後半)

「リ・ジェネシス2 バイオ犯罪捜査班」の残りのエピソードを全て見終わった。「グレンの心」「死の雨」「集団自殺」「寄生=パラサイト」「症状=昏睡」「覚醒」「終焉」。

思ったとおり中国は全然絡まなかった。「前半」でも書いたように、手持ちのカードを惜しみなく切っていくような展開は最後まで味わえなかった。そういえばシーズン1にあった「ぼかし」もなかったな。デビッドの傲慢さや行動力は弱まり、身内に関する心痛などで主人公の陰影は深まったが、それが物語の魅力にうまく結びついていないような気がする。思い切ってジルはいなくなった方が良かったのではないか。そうすればデビットの女にだらしないところも復活するかも。もちろん「ぼかし」がみたい訳じゃないよ。

「衝撃のラスト」も海外ドラマの定番。シーズン3への興味を引き立てている。でもあまり期待しない方がいいかも。新シーズンでは「数年前に大変なことがありました」ってさらっと受け流されることも多いので。新シーズンのWOWOWでの放送は早くて来春ぐらいだろうか。シーズン1のDVDのレンタルやセルが好調であれば、シーズン2のDVD化のタイミングで放送されると踏んでいる。そういう意味でもがんばってほしい。

いろいろ書いているけど「リ・ジェネシス2 バイオ犯罪捜査班」は知的好奇心を刺激してくれる。前から気になっていた池谷祐二「進化しすぎた脳」も最近読了。NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」File005「ヒトはなぜ死ぬのか?」に出演していた田沼靖一の「死の起源 遺伝子からの問いかけ」も読んでみようと思う。

WOWOWでは改めてシーズン2の「二カ国語版」が10月31日から始まるようだ。

あぁ、早くシーズン3が見てみたい…。

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「まだ見ぬ幸せ」

紀伊国屋サザンシアターで「まだ見ぬ幸せ」を観劇する。

作・演出が松原敏春。2001年、享年53歳で亡くなられている。テレビドラマ・舞台の脚本で実績をあげられていた方のようだ。出演は布施博・あめくみちこ・河西健司・中西良太の四人である。初演は1989年。

舞台は郊外の駅舎(たぶん)。女性と待ち合わせている布施博とキヨスクの販売員のあめくみちこのやり取りから始まる。舞台にポケベル・赤電話が出てきたり、最初のつかみのギャグがあまりに古く(懐かしいという思いもあり)、意表を突かれる。その時代設定の意図やいかにと悩む。しかし、この作品の初演が20年近く前であることを知らなかったための当惑も、次第に筋に引き込まれ、すぐに気にならなくなった。舞台は別れた妻との過去のエピソードと現在を行き来しながら進む。そこで繰り広げられる男と女のすれ違い。終演後に思いのほか満足感を覚えたが、ひとつの疑念も生まれた。それは決して取り返しがつかなくなってからの「真実の告白」ということ。それはラストで主人公の印象を反転させる効果もあるが、ちょっと無理筋のような気もした。また、人間関係において、ある時はしんどくても真正面から受け止めるべきときがあり、その読み違えに関しては己の責任として引き受けなければならないと、観劇後の余韻の中で思った。

とはいえ、よくまとまった作品である。ラストのオチも、その唐突感が舞台らしく楽しめた。ところで、こういうオチって落語に通じるモノがあるような思うがどうなのだろう。

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「リ・ジェネシス2 バイオ犯罪捜査班」(前半)

HDDレコーダーへ撮りためた「リ・ジェネシス2 バイオ犯罪捜査班」の第1話の「拉致」から「宿命」「奇跡」「闇夜の住人」「天使」「政府の陰謀」の第6話までみる。

いやぁ、第1シーズンをみていたときに既に予想はしていたけれども、あの畳み込むような展開は弱まっている。第1シーズンでは2・3話でひとつのエピソードの顛末を描きながら、第1話のウィルス・テロとスペイン風ウィルスのエピソードを通奏低音のように響かせていた。その思い切りの良さがよかったんだよねぇ。もちろん、第2シーズンで、主要キャストの性格・葛藤を丁寧に描くことはシリーズものの王道ではあるのだろうけど…。ちょっと引っ張っているなぁという印象はぬぐえない。

とはいえ第6話まで「引っ張ってきた」諸々の問題も、そろそろ拡散を終え収束へ向かう様子も伺える。今後の展開に期待したい。

最後に、第1話の舞台であった中国ってちゃんと絡んでくるんだよね? ここまでのエピソードではあまりつながりがなくて、ちょっと浮いているのが心配。

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「消えた天使」

「消えた天使」(2007)

★★★★☆

ある人が言っている
“怪物と戦う者は、その過程で自らも怪物にならぬよう気をつけよ”と

“深淵を覗くとき、深淵もまた覗き返している”
あんたの中に私らがいる
人生の決定的瞬間は突然くる

エロル・バベッジ(リチャード・ギア)のタフガイぶりに「ダーティーハリー」のハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)を思い出した。しかし、その主人公の造型のなんと違うことか。そこには宮台真司が解説で書いているようにシステムを維持するために、あえて脱システムな作為をなす<英雄>が描かれている。しかし、ハリーに脱法行為への恐れ・苦悩は存在しない。だからそこラストで犯人に容赦なく銃弾を撃ち込めるのだ。エロルは、監視している性犯罪者たちを突き動かすモノと源を同じくする暴力への衝動に歯を食いしばって耐えている。そして、まもなく退職する自分の後継に、社会の「闇」への耐性を持つと見込んだアスリン・ラウリー(クレア・デインズ)を選び、「This is the last trip」(たぶん)といってアスリンと犯人に迫っていく。

最後に犯人と対峙し、その「闇」の深さゆえに自らの衝動に身を任せそうになっているときに、アスリンが駆けつける。「ヤツを助けるつもりか!」エロルは叫ぶのだが、アスリンは間違いなくエロルを助けに来たのである。

アンドリュー・ラウ監督のハリウッド第一作。シナリオの構成は手堅く、監督の映像手腕が活きる見応えのある作品だ。

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